千葉の様子をお伝えする。。。
と言いつつ、中々ブログを更新できなかった
だめだめPooでございますorz
東日本震災から3週間ほど経った
4月2日・土曜日
ぷりっくのトリミングを終えて、タクシーで武蔵小杉まで出て
横須賀・総武快速と成田線を乗り継ぎ2時間・・・
Pooの実家のある千葉県香取市佐原地区に到着しました。
元々、改修工事を行っていた佐原駅。
工事が終わったばかりのところに今回の地震に遭いました。
外観は大きな損傷の無いように見えるのですが、
エレベーターが壊れて使用禁止になっていました。
入口の階段も、段差が出来てしまい、パテで補修されていました。
そんな佐原駅から徒歩7分程の実家はというと。。。
外壁がちょっと壊れた以外は大した被害はありませんでした。
玄関は、父親が仮復旧作業を完了させていました。
(こういうとき、職人って便利だなーと思う)
でも。。。
斜め前のアパートは、液状化の為立ち入り禁止になってしまい、
Pooが帰った時にお引っ越しの作業をされていました。
本当に目と鼻の先で。。。
実家の屋上に上がってみると
ブルーシートを掛けられたおうちがたくさん見えました。
ブルーシート不足で、そのままのご自宅もありました。
佐原は、都心部と違い日本家屋が多いので、
地震が起きたら屋根瓦に注意するように言われて育ちました。
今回の震災でも落ちてきた瓦で怪我をされた方が居なかったと聞き
安心しました(Pooの聞いた範疇ですが・・・)。
屋根瓦の補修工事はかなりの待ちがあり、
完了するまでに1年はかかるようです。
4月3日・日曜日
被害の酷かった小野川沿いや利根川周辺を見に行きました。
以前ブログにアップした、リアル日光江戸村のような町並み。
※震災前の佐原の様子はこちらを見ていただけると分かると思います(
こちら)
とてもきれいな街です。
この町並みがどんな風に変わってしまったのかとても気になっていました。
重要文化財も
こんなに変わってしまいました。
ぷりっくは怖がらず歩いてくれましたが、
かなりの被害に悲しくなってしまいました。
塀に貼られている「赤紙」は、立ち入り禁止のしるしです。
液状化で川の形が変わってしまってました。
きっと、ご近所のお年寄りがこの椅子に座って
お話に花を咲かせていたんでしょうね。。。
土が隆起して、椅子が置いてあった場所が1m以上隆起していました。
この道のそばに住んでいる方から母が話を聞いたのですが、
相次ぐ揺れで道が波のように揺れたのを見たそうです。
この通りは、住民すべてが避難していました。
地震が起きてから1ヵ月経ってから、やっと断水が復旧したそうです。
と言っても、仮復旧ですが。。。
Pooが行った時は、生活用水が詰まった状態だったので、
汚水のにおいが立ち込めていました。
街を歩いて、平衡感覚がなくなりかけました。
こんな状態ですが、佐原のみんなは口々に
「津波で被害を受けた方々に比べれば、無くしたものは少ない」
と、おっしゃっていました。
更に2週間後の4月16・17日も実家に帰省しました。
この時は、足を延ばして、鹿嶋・神栖・潮来や、
津波の被害が大きかった旭(飯岡)も見てきました。
車窓から見る津波の被害に、ぷりっくも神妙な顔をしていました。
どの町も少しずつですが、ライフラインが復旧し、復興に向けて歩んでいました。
福島原発事故の影響で、農作物の出荷制限という新たな被害にも遭いましたが、
めげずに復興していって欲しいな。。。と、思い、
飯岡でしらす・東庄でいちご・鹿嶋大野ではまぐりを買って帰りました。
どれもおいしかったです。
ぷりっくは今回の帰省で、初海(砂浜)を体験しました。
砂地が大好きなので、はしゃいでいましたが、
水嫌いなので、波を見てビビっていました(笑)